神仙思想×芸術 ── 露を飲めば、不老不死
伝説
今から3000年ほど前の中国・周の時代のこと。 中国の仙童・菊慈童は、菊の露を飲んで不老不死を得たという。
この伝説は能の『菊慈童』として観世流の謡曲、美術作品のモチーフなど、今日でもさまざまなところでみられるのである。
もの
吉兆の創業者・湯木貞一はいった。
「日本料理ほど料理と器のつりあいを大事に考えるものは、世界中どこを探してもありませんね。」
日本料理は華やかさの上に、侘び、寂び、もののあわれ――そういった言葉にしづらいものが漂っていてこそ、というのだ。そんな貞一は「懸命に心をそそいで」器を集めた。
そのなかの一枚、《色絵菊図皿》。
江戸時代の京で活躍した尾形光琳の弟・乾山の作である。八輪の白菊が皿面いっぱいに咲き、金地と緑のシベが彩りを添える。ここに描かれた菊は、菊慈童の伝説を背負った、不老不死の象徴なのである。
同じ文様は、能装束《萌葱地牡丹萩菊丸文舞衣》にも見ることができる。
こちらも江戸時代につくられた舞衣であるが、富や栄華を願うボタン、子孫繁栄のハギとともに、やはり菊が織られている。
さかのぼる
「不老不死」という祈りは、どこからうまれたのか。
その源をたどると、2200年ほど前の中国の秦にいきつく。たとえば秦の始皇帝陵である。秦始皇帝は、死後も自らの魂が地下にとどまると考えた。そこで死後の魂が生前と変わらぬ暮らしがおくれるように、地下宮殿をつくった。それは黄河や長江を模した水銀の河が流れるような、たいそう豪華なものであったそうな。それと同時に、始皇帝自身も不老不死の仙薬を求めて、各地に方士を遣わしたそうである。前漢末期に仏教が伝来する前、中国では仏教とは異なるこうした独自の思想の上に、死生観と美術様式が発展していたのである。
一枚の皿、一領の衣に、ひとびとの願いや歴史をみることができる。
参考資料・文献
金子典正編『中国の美術と工芸』、藝術学舎、2013年
湯木美術館『琳派のうつわ インスパイアof乾山!』展、2026年
藤田美術館『金色の魔力』展、2026年
